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第10回憲法学特殊講義

‐3、人権擁護法は「人権」を「擁護」するか
 これまでにおいて人権擁護の「規範」と「主体」を確認したため、本節では人権擁護の「客体」、すなわち人権擁護法案がどのような人権を擁護しようとしているのか、またそれはどのような方法によるのか、さらにはそれによって果たして人権は擁護されるのかといった点を論じる。
なお1章で述べたとおり、本レポートでは市民的自由、特に表現の自由を重視しているため、それらに関係することを中心に論じることにしたい。

(1)人権侵害救済手続きの問題点
 それでは、「人権侵害」があった場合、どのような方法で救済されるのであろうか。順を追って見ていくことにしたい。
 まず、何らかのかたちで人権侵害が行われた場合、人権委員会は被害者の相談に応じることができる(第37条)。これによって被害があったと判断された場合、また人権委員会自身が人権侵害行為による被害またはその恐れを発見した場合には、救済手続きが開始(第38条)される。
第三十八条
3 人権委員会は、人権侵害による被害の救済又は予防を図るため必要があると認めるときは、職権で、この法律の定めるところにより、必要な調査をし、適当な措置を講ずることができる。
 しかし上記の職権による調査、措置規定が、例え法的強制力を持っていないとはいえ、国家機関が法律に基づいて、しかも申立てなくとも職権によって開始できるという点が、市民に対し事実上の強制力やプレッシャーを生む恐れがある(*10)ことは書いておかねばならないだろう。
 さて、この調査によって人権侵害が実際にあった、あるいはその危険性があると判断された場合、その人権侵害の性質によってA)一般救済手続、B)特別救済手続が実施されることになる。
A)一般救済手続
法案第四章第二節では、第2条、第3条に規定される人権侵害があった場合に人権委員会が行う、一般調査(第39条)、調査の嘱託(第40条)、一般救済(第41条)の各制度からなる一般救済手続を定めている。
 一般調査とは、人権委員会が「人権侵害による被害の救済又は予防に関する職務を行うために必要があると認めるとき」に「必要な調査」を行うことができるというもの(第39条)である。なおこの調査は、第38条のものと違い、より個別の事案に具体的かつ詳細な調査を行うものだと解することができる。すなわち実際的な問題解決の第一歩としての調査がこの一般調査に当たるのであろう。
 しかし、委員会が必要と認めれば調査が開始されること、また第2条第3条の「人権侵害」概念があいまいであることから、必ずしも一方の人権のみが侵害されているとは判断できない私人間での人権侵害問題においても、「どちらか一方」の立場から人権侵害があると判断した場合にはあらゆる問題について法律に基づく権限を有した「調査」が行われることになり、問題があると思われる。私人間の場合においては双方の立場を勘案し、その上で権限を適正に行使できるような制度的措置を定めるべきである。
 加えて、この調査権限は第40条によって人権委員会から国の他の行政機関、地方公共団体、学校その他の団体に嘱託することができるのである。この「国の他の行政機関」には、当然に警察権力、検察も含まれるのであり、事案の性格によっては、特に信条という人の内心が絡む問題、報道等表現の自由が絡む問題においては、「人権救済手続」がそれ自体「人権侵害」となる事態が発生するおそれもあるのである。
B)特別救済手続
 法案第四章第三節第一款において特別救済手続の通則を定めているが、この対象となるのは、第2条第3条に則した人権侵害のうち、特に悪質な類型の人権侵害とされているものである。詳細はV章に挙げたURLから条文を直接確認して頂きたいが、だいたい以下の13項目に分類できる。
ア)国、地方公共団体の職員による不当な差別的取扱い、物品販売業者らによる不当な差別的取扱い
イ)特定の者の人種等の属性を理由として行う不当な差別的言動のうち、相手方を畏怖させ、困惑させ、または著しく不快にさせるもの
ウ)性的言動(セクシャルハラスメント行為)のうち、悪質なもの
エ)公権力を行使する職員がその職務の際に行った虐待行為のうち外傷を伴うもの、わいせつなもの、身体・生命に対する侵害行為、著しい心的外傷を生じるもの
オ)社会福祉施設、医療施設その他同様の施設の管理者、職員、従業員による入所者、入院者に対する虐待のうちエ)で挙げたもの
カ)その他学校における虐待
キ)児童虐待
ク)配偶者(内縁を含む)の一方から他方に対する虐待のうちエ)で挙げたもの
ケ)高齢者もしくは障害者に対する同居者等支援者の虐待のうちエ)で挙げたもの
コ)報道機関その他取材に従事する者が行う行為で、被取材者(*11)の私生活にかかわる事実をみだりに報道し、名誉や生活の平穏を著しく害する行為
サ)報道機関その他取材に従事する者が行う行為で、被取材者に対する取材の際、取材拒否されたにもかかわらずつきまとい等を継続または反復して行い、被取材者の生活の平穏を著しく害する行為
シ)報道機関その他取材に従事する者が行う被取材者に対する取材の際、取材拒否されたにもかかわらず継続的または反復的に電話をかけ、又はファクシミリを送信し、その者の生活の平穏を著しく害する行為
ス)上記に掲げた行為に準じる人権侵害行為で、当該被害者が自らその排除又は回復のため措置をとることが困難だと認められるもの
 人権擁護法案は、これらの人権侵害に対して、「特別調査」(第44条)と、それに基づく「調停」(第45条ないし第56条)、「仲裁」(第45条ないし第49条、第57条ないし第59条)、「勧告」(第60条)、「公表」(第61条)、「訴訟援助」(第62条および第63条)、「差止め」(第64条および第65条)の6点による特別救済手続を定め、また「差別助長行為等」に対しては「停止の勧告」(第64条)「差止め訴訟」(第65条)の措置もとることができる旨定めている。
 ここでは、それら特別救済手続のうち市民的自由保障の点から見て特に問題があると思われる「特別調査」と「差止め」について論じる。
(a)特別調査
第 四十四条 人権委員会は、第四十二条第一項第一号から第三号までに規定する人権侵害(同項第一号中第三条第一項第一号ハに規定する不当な差別的取扱い及び第四十二条第一項第二号中労働者に対する職場における不当な差別的言動等を除く。)又は前条に規定する行為(以下この項において「当該人権侵害等」という。)に係る事件について必要な調査をするため、次に掲げる処分をすることができる。
一 事件の関係者に出頭を求め、質問すること。
二 当該人権侵害等に関係のある文書その他の物件の所持人に対し、その提出を求め、又は提出された文書その他の物件を留め置くこと。
三 当該人権侵害等が現に行われ、又は行われた疑いがあると認める場所に立ち入り、文書その他の物件を検査し、又は関係者に質問すること。
2 人権委員会は、委員又は事務局の職員に、前項の処分を行わせることができる。
3 前項の規定により人権委員会の委員又は事務局の職員に立入検査をさせる場合においては、当該委員又は職員に身分を示す証明書を携帯させ、関係者に提示させなければならない。
4 第一項の規定による処分の権限は、犯罪捜査のために認められたものと解してはならない。
 本条では、差別的取扱い及び虐待にかかわる行為、差別助長行為のうち差止め等の対象となる行為に関わる人権侵害について、人権委員会がなしうる権限を定めている。なお上記の権限は、犯罪捜査のために認められたものではないと規定されている。
 しかし、出頭を要求され、質問をされ、文書等の提出を要求の上に留置され、または立ち入り検査・質問を受ける側から考えると、単に人権委員会職員が身分証明を提示するだけでは適正手続が守られているのかわからないし、そもそもなぜ特別調査の対象となっているのかすらわからないであろう。
そしてさらに問題なのは、この規定だと、なんら理由も告げず、弁明の機会もないまま、突然人権委員会が訪れてきて民間人の施設や住居に立ち入り、有無を言わさず文書等を提出させ、しかもこれに従わない者には30万円以下過料を課すということが行われることになるのである(*12)。
司法のみならず行政手続上も適正手続が要請されるのであるから、いかなる理由でその者が特別調査の対象となったのか、どのような物品の提出を求めるのか、何を調べるために立入り検査をするのかといった一種の令状を示すことが必要である(*13)。また同時に、対象者に聴聞、弁明の機会を与えること、人権委員会に対する不服申立ての権利を認めることも当然に求められるものである。
(b)差止め
第六十四条 人権委員会は、第四十三条に規定する行為が現に行われ、又は行われたと認めるときは、当該行為をした者に対し、理由を付して、当該行為をやめるべきこと又は当該行為若しくはこれと同様の行為を将来行わないことを勧告することができる。
2 前項の勧告については、第六十条第二項及び第六十一条の規定を準用する。
 本条では、特別人権侵害からの被害者の救済をより実効性のあるものにすべく、「差別助長行為等の停止の勧告」が定められている。「第四十三条に規定する行為」、つまり「差別助長行為等」が実際に行われ、また行われたと認めるときに、これをやめることもしくは将来行わないことを勧告し、「差別助長行為等差止め訴訟の提起」(第65条。後述)と共に被害からの救済に当たるのである。
 しかし、第43条1号「これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発するおそれがあることが明らかであるもの」2号「これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをする意思を表示した者が当該不当な差別的取扱いをするおそれがあることが明らかであるもの」と、「おそれ」までもが処分の対象として規定されていることが問題である。ただでさえ「助長」「誘発」といった表現は定義があいまいでどういった行為を指すのかがわからないのに、その「おそれ」となると、まったくもって明確性に欠ける抽象的な文言としか言いようがない。なおこの点、「明らかであるもの」という絞りがあるとの反論があるかもしれないが、判断が濫用される危険を払拭できるまでには至っていないと言える。
 ここで対象となっているのは一定の差別表現であり、差止めの勧告や訴訟提起は表現行為に対して厳しい規制を課すものであり、またいずれも表現の事前規制までをも射程に収めていることから、これが実行された場合市民の表現の自由を大いに侵害する恐れがあると言える。

(2)「特別人権侵害」規定の問題点
 法案第42条は先に述べたように、人権侵害の中で特に悪質な行為を特別人権侵害としているが、それは4つの類型に分類することが可能である。具体的には差別、差別的言動、虐待、マスメディアによる人権侵害であるが、これは当該人権侵害があった場合、自らの人権を救済することが困難な状況にある人々には実効的な調査救済が必要だからであるとされる(*14)。
 ここではその四つのうち、特に表現の自由と関連して問題点が多い「差別的言動」「マスメディアによる人権侵害」について取り上げることとする。
A)マスメディアによる人権侵害
法案は特別人権侵害として、差別や虐待といった直接的なものの他に、一連の表現活動に関わる活動を人権侵害とし、勧告や公表といった特別救済の対象としている。この表現規制の類型には、セクシャルハラスメントのような言動を規制する規定も含まれているが(42条1項2号ロ)、中心となるのはメディアの取材・報道規制と差別表現規制の二つである。ここではメディアの取材・報道規制について論じる。
第四十二条 人権委員会は、次に掲げる人権侵害については、前条第一項に規定する措置のほか、次款から第四款までの定めるところにより、必要な措置を講ずることができる。ただし、第一号中第三条第一項第一号ハに規定する不当な差別的取扱い及び第二号中労働者に対する職場における不当な差別的言動等については、第六十三条の規定による措置に限る。
(中略)
四 放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関又は報道機関の報道若しくはその取材の業務に従事する者(次項において「報道機関等」という。)がする次に掲げる人権侵害
イ 特定の者を次に掲げる者であるとして報道するに当たり、その者の私生活に関する事実をみだりに報道し、その者の名誉又は生活の平穏を著しく害すること。
(1)犯罪行為(刑罰法令に触れる行為をいう。以下この号において同じ。)により被害を受けた者
(2)犯罪行為を行った少年
(3)犯罪行為により被害を受けた者又は犯罪行為を行った者の配偶者、直系若しくは同居の親族又は兄弟姉妹
ロ 特定の者をイに掲げる者であるとして取材するに当たり、その者が取材を拒んでいるにもかかわらず、その者に対し、次のいずれかに該当する行為を継続的に又は反復して行い、その者の生活の平穏を著しく害すること。 (1)つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所の付近において見張りをし、又はこれらの場所に押し掛けること。
(2)電話をかけ、又はファクシミリ装置を用いて送信すること。
(a)法案は、イにおいて犯罪被害者、犯罪行為を行った少年、犯罪被害者及び犯罪行為を行った者の配偶者、同居の親族、の私生活をみだりに侵害し、名誉、生活の平穏を著しく議する報道を人権侵害と規定した。また、ロにおいてはこれらの対象者の人権を侵害するとされる取材行為を挙げている。
 本来、ある報道の違法性を判断する際には、その報道の目的や取材方法の相当性、対象者が公的関心の対象となるか否か、対象であるとして報道に際して配慮がなされたか、といった論点ごとに、個別具体的かつジャーナリストとしての主観的観点及び市民からの客観的観点で総合的な検討が加えられなければならないはずである。
 ところがこの条項は、対象者が公人か否か、公的関心の対象となっているか否か、を区別することなく、硬直した基準で、ここに挙げている人物の報道、取材を一概に人権侵害だと定めているのである。この点、「みだりに」報道するのを禁止しているのであって、一般的な制約をしているのではないとの反論がありうるが、その判断の権限を行政機関が握っていること、そして条文において対象者が列挙され、報道と取材を制約する行為が列挙されている以上は、人権委員会等が報道や取材に干渉しあるいは規制するおそれが常についてまわることを考えねばならない。
 また法案は一定の取材方法を人権侵害としているわけだが、確かにこれらが一般の刑事少年事件・犯罪被害者になされた時は人権侵害と言い得るものの、それが公人周辺への取材と何の区別もなくまったく同列に論じられているのは問題であると思われる。そして、取材するものがいかなる取材の意図で行うのか、公共の関心事項か否かを検討する余地もなく、挙げた行為そのものを一律に人権侵害としているのも問題である。
 それでは、なぜ公人周辺への取材がその他と同列に論じられることが問題なのか。それは、政治家が犯罪行為を行った疑惑がある場合に報道機関がその秘書に取材しようとしたとき、秘書が政治家の夫人や子供であったときには(往々にして見られるものである)、その取材行為のための電話やファックスが継続反復して生活の平穏を害していると認定されればそれは人権侵害となり、取材がそこで止められてしまうからである。名誉毀損やプライバシー権侵害に関する公人性の考慮と同様のものがこの報道に関してもなされるべきであろう(*15)。
(b)さて、マスメディアに上記条文のような人権侵害があるときは、特別人権侵害に対する救済として、停止の勧告(第60条)、公表(第61条)、記録の閲覧、写しの交付(第62条)、訴訟参加(第63条)、調停、仲裁の措置(第50ないし第59条)をとることができる。以下、特に問題があると思われるア)停止勧告・公表、イ)訴訟参加・記録閲覧謄写について述べる。
ア)停止勧告・公表
マスメディアの取材、報道が特別人権侵害とされている規定に当たると認定されると、人権委員会は現に行われている行為のみならず予防のためと称して将来の行為も「停止勧告」することができる。文言上強制力はないものの、これに従わなかった場合の「公表」の処分、人権委員会の「訴訟参加」といった不利益を考えると、事実上の強制力はあると言えよう。特に「公表」に関しては、どのような種類の取材をしていたとしてもその内容を「人権侵害」という形で暴露されるため、調査報道の威力が失われ、また事実解明が遠のくことにもつながる。
さらにこの「停止勧告」は取材行為へも及び、そうなると人権委員会は報道機関に対し「調査」を行うことになるので、発表前の報道内容の審査という事態を招く。これは検閲を禁止する憲法21条に反することである。
イ)訴訟参加、記録閲覧謄写
 人権委員会は勧告がされた後にその人権侵害に関する訴訟に訴訟参加できる。特別人権侵害の被害者から、勧告がされた事案についての記録の閲覧謄写の請求があった場合には、人権委員会はそれを許可することもできる。(a)で挙げたような政治家周辺の報道の場合、秘書である家族の申立て、あるいは人権委員会独自の職権による判断で停止勧告が行われ、それが訴訟になると人権委員会は報道取材の「人権侵害」を理由に訴訟に参加してくるのである。すると原告(政治家周辺)側は、従来のように名誉毀損やプライバシー権侵害で告訴する場合には必要だった違法性や故意過失を立証することなく、マスメディアに対して勝訴することができるのである。このようなことが実際に認められるようになると、報道の自主規制、萎縮によって真実の報道がなされず、民主制に資する価値として「表現行為」を考えると、その民主制すらも危うくする事態を招きかねない(*16)ことになる。
B)差別表現
 人権擁護法案が表現を規制するものとしてメディアの取材・報道規制と差別表現規制の二つがあることは前述のとおりであるが、以下では差別表現規制について論じる。
 差別表現規制には、差別的言動(42条1項2号イ)と差別助長行為等(43条1号2号)の二つのタイプが含まれる。
(a)差別的言動
第三条 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。
一 次に掲げる不当な差別的取扱い
イ 国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い
ロ 業として対価を得て物品、不動産、権利又は役務を提供する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い
ハ 事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取扱い(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(昭和四十七年法律第百十三号)第八条第二項に規定する定めに基づく不当な差別的取扱い及び同条第三項に規定する理由に基づく解雇を含む。)
第四十二条 人権委員会は、次に掲げる人権侵害については、前条第一項に規定する措置のほか、次款から第四款までの定めるところにより、必要な措置を講ずることができる。ただし、第一号中第三条第一項第一号ハに規定する不当な差別的取扱い及び第二号中労働者に対する職場における不当な差別的言動等については、第六十三条の規定による措置に限る。
一 第三条第一項第一号に規定する不当な差別的取扱い
二 次に掲げる不当な差別的言動等
イ 第三条第一項第二号イに規定する不当な差別的言動であって、相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの
ロ 第三条第一項第二号ロに規定する性的な言動であって、相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの
 「差別的言動」をめぐる規定の中でまず確認すべき点は、3条1項2号と42条1項2号との関係である。前者は人権擁護法が人権侵害の一類型として禁止する対象として「特定の者に対し、その者のする人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動」という要件を定め、後者はその要件に「相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの」という人権委員会による勧告・公表等の特別救済の対象となる特別人権侵害の要件を加重した条項である。
さて現行法上、「侮辱」については、刑事法上も民事法上も保護されているが、人種等を理由とする「嫌がらせその他の不当な差別的言動」それ自体を法的に保護する規定は存在していないので、法案の「差別的言動」規定は現行法で定めている以上の規範を生み出すことになる。なおここにいう「人種等」とは、「人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう」(2条5項)。
 しかしこの条項は、きわめて漠然とした要件で言論、表現を過度に広範に規制し、言論・表現活動を不当に萎縮させる危険があるといえよう。なぜなら「嫌がらせ」とは何か、「その他の不当な差別的言動」とは何かをまったく定義づけせず、内容を明らかにしていないからである。特に核心となる「差別的」とはいかなる内容で何を包含するのかまったくわからない(*17)。この「差別的言動」の規定にとどまらず、法案には「差別」や「差別的取扱い」とは何かを定めた定義規定も、条項も一切存在しないのである。表現規制において、「差別」や「差別的」といった文言は一定の限定や基準を設けなければ無限定、包括的な形で表現活動を過剰に制約することにつながるにもかかわらず、である。
 そしてこの規定は、特に人権侵害の主体を限定しているわけではないので、市民を含むあらゆる主体が規制の対象となってしまうのである。42条1項4号に定める報道機関等による人権侵害の場合とは異なり、この「差別的言動」という人権侵害の場合には、人権委員会が関係者の出頭や文書の提出要求、立ち入り検査などの調査を過料の制裁を伴う形で行う特別調査の対象になり(44条)、仮にこの「差別的言動」が報道や取材に従事する者(*18)によってなされた場合にはメディアも特別調査を受けることになるのだ。それはつまりメディアが人権委員会という行政機関の強制調査に服することを意味する。そうなると、表現の自由、また報道の自由は大きく制限されることになろう。
 さらにこの「差別的言動」に対しては報道機関による人権侵害の場合と同様、特別救済として「勧告」が発せられうるが、これには特別人権侵害による「予防を図るため必要があると認めるときは」当該行為もしくは同様の行為を「将来」行わないことその他被害の「予防に必要な措置」を執ることも含まれる。ここにいう「勧告」は「行政指導」としての性質を持つに過ぎないとはいえ、実質的に行政機関が表現の事前差止めを要請すると言う、憲法の検閲禁止規定に反する仕組みだと言える。
(b)差別助長行為等
第三条
2 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
一 人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類する方法で公然と摘示する行為
二 人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その他これらに類する方法で公然と表示する行為
第四十三条 人権委員会は、次に掲げる行為については、第四十一条第一項に規定する措置のほか、第五款の定めるところにより、必要な措置を講ずることができる。
一 第三条第二項第一号に規定する行為であって、これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発するおそれがあることが明らかであるもの
二 第三条第二項第二号に規定する行為であって、これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをする意思を表示した者が当該不当な差別的取扱いをするおそれがあることが明らかであるもの
 法案の差別表現規制のもう一つは、「差別助長行為等」と称されるものである。人権擁護推進審議会では部落地名総鑑(*19)のような差別助長、誘発表現だけに言及されていたが、法案ではこれに加えて不特定多数の者に対する差別的取扱いの意思表示についても定めを置いている。なお「差別助長行為等」については他の各種人権侵害とは異なり、唯一、差止請求訴訟が予定されている。
第六十五条 人権委員会は、第四十三条に規定する行為をした者に対し、前条第一項の規定による勧告をしたにもかかわらず、その者がこれに従わない場合において、当該不当な差別的取扱いを防止するため必要があると認めるときは、その者に対し、当該行為をやめるべきこと又は当該行為若しくはこれと同様の行為を将来行わないことを請求する訴訟を提起することができる。
これについて人権擁護推進審議会は、部落地名総鑑の頒布等差別を助長、誘発するおそれの高い表現行為がなされた場合には、差別的取扱い等を受ける恐れのある個人が「訴訟によりその排除を求めることが、法律上又は事実上著しく困難であるため、又は問題の実質的解決にならないため、訴訟援助の手法が有効に機能しない」からだと説明している。しかしこの差止請求訴訟は特別救済措置の中でももっとも強制的な手法であり、表現の自由に対する重大な侵害となる要素を孕んでいると言える。
まず3条2項と43条との関係を見るが、これは「差別的言動」の際と同様に、前者の条項の要件に加重要件を定める関係になっている。例えば「差別助長行為」の場合には、「これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発するおそれが明らかであるもの」というように要件が加重されているのである。
 さてこうした「差別助長行為等」を規制する条項は、「差別的言動」規制と同じく表現の自由の保障上大きな問題を有している。なぜなら、これらは不特定多数の者に向けられた表現であるにもかかわらず人権侵害とされ(*20)、強制調査や差止請求訴訟といった特別救済措置の対象となり、加えて違法行為として損害賠償請求の根拠となる余地すらあるからである。しかも、「差別的言動」の場合と同様に「差別」とは何かが不明確であり、加えて「差別助長行為」については何が差別的取扱いの「助長」「誘発」になるのかといった概念もあいまいなままであり、こういった不明確、あるいは広汎に意味が取れる文言で以って規制を行うと、表現活動を過剰に制約し、不当に萎縮させることにつながるのは言うまでもない。
 また、「差別助長行為等」がメディアによってなされた場合には、特別調査、事前差止めの対象となる(「差別的言動」と同じである)が、さらに先述したように「差止請求訴訟」も提起することが出来、これによって司法による表現の事前差止めの請求まで手放しで容認しており、これはつまり検閲をも含んだ規制を容認することにつながりかねないことも記しておく。
 現在では少々沈静化したものの、一時期までは主に部落解放同盟による言葉狩り(*21)が酷かったのは周知の事実である。各メディアに目を光らせ、「差別的」と判断した言葉の発言者及び責任者に対し「確認会」(という名の糾問)を行い、相手が少しでも認めると「糾弾会」(過激派学生による「大衆団交」と同様のもの)を徹底的に行うそのやり口が、ここに条文となって現れているように思えてならない。

次回に続く


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